いつの間にか36歳になり、あと半年もしないで37歳になろうとしている。

色々と限界を感じている36歳。

 

これからの人生、生き方について考えれば考えるほど分からなくなり不眠に陥る。

友達もいない。金も無い。根性も、無い。

プライドと理想だけは高い。

 

助かりたい。

桐島聡は何を思って生き、死んだのだろうか。

約束

親に約束を守って貰えたことが殆どない。

嬉しい約束をしてもらえてその場で凄く喜んで何日もウキウキしてそのうちあれ?約束はいつ遂行されるのだろうと不安になり恐る恐る訪ねると怒鳴られ殴られ絶望するのを繰り返した。

バカな私でもそれが何年も続くと喜ばしい約束も嘘だとわかるので昔みたいに喜べずそれに対して可愛くないとまた怒鳴られ殴られる。

 

未だに人との約束は疑ってしまうし約束を破られると腸が煮え繰りかえる気持ちになる。

 

私はよく人から「人間が嫌いだよね」とか「他人に興味がないよね」と言われるけどいまいちしっくりこないのだけど最近「私は他人が怖い」んだということに気がついた。

 

怒られたり怒鳴られたり傷付けたり傷つけられたり。

他人といると自分が惨めになったり嫌いになる。そうやって他人を遠ざけて今本当にひとりぼっちになった。寂しい気持ちもあるけれど少し楽だなとも思っている。

振り返り

34年前の初夏に私は産まれた。

両親は私が産まれて1年程で父の不倫が原因で離婚したそうだ。因みに父は不倫相手とは今も一緒にいて子供も2人いる。

母はその後生活のために好きでもない人と再婚した。

離婚と再婚で母の人生は狂い私も一緒に狂っていった。

母は精神を病んでいたがプライドのためか病院に行くことはなかった。拒食症もあり身体も壊し8年前に亡くなった。

私にはきょうだいはおらず家族は育ての父だけ。

母は育ての父と私の血が繋がっていない事を最期まで言わなかったが私は9歳の頃ひょんな事からその事実を知ることになった。母が亡くなりおばさんから離婚の詳しい内容を聞かされ母の精神が病んでいた本当の理由を知った。

私は望んで出来た子供ではなかった。父は車が好きで借金をしており2人で借金を懸命に返していた矢先の妊娠、お金がないのに子供など育てられるはずもなくまた父は私にはあまり興味がなかった。そのうちに資産家の女の人と不倫関係になり借金を全て肩代わりしてもらい結婚に至った。お金は凄い。

おばさんに母は私の事をどう思っていたのか聞いたら言えないと言われた。言わない事が全てを語り私は悟った。

 

私は虐待を受けていた。しかしそれに気が付いたのは本当に最近だった。精神的にも肉体的にも暴力を受け母は私との時間より1人の時間を優先した。病気になっても辛いと言うことは許されず独りで病院に行った。嘘つきと言われ病院に行かせてもらえないこともあった。たくさん殴られたし蹴られたし傷つく事も言われた。

でもそれが当たり前だと思っていた。だって比べる相手がいないから分からなかったんだもの。学生時代の同級生が子育てをするようになって子供に対しての接し方を見て本当にビックリした。

暴力や暴言がダメなのは他人同士だからであって家族はいいと思っていた愚かな自分。数年前までそんなことにも気が付かないなんてかなりどうかしてる。恥ずかしくてこんなこと誰にも打ち明けられない。

 

私は愛に飢えている。愛されたくてしょうがなくて、それと同じくらい誰かを愛したい。

 

だけど私は誰かを愛する技術も愛される技術もない。

自分や他人を憎むことは簡単に出来るのに。

こんな醜い人間が誰かを愛したり誰かに愛されたりなんて出来るわけない。

あと2ヶ月

発達障害35歳限界説という言葉があることを数日前に知った。まさしく限界真っ只中の34歳10か月。
薄々勘づいていたけれど私は多分発達障害だと思う。

無能の可能性も捨てきれないが。

歳を重ねる毎に生きづらさが増して集中力も無くなり元々少なかった出来ることも出来なくなりこの先出来ることなんて何もない本当の能無しに近づいている。
おまけに性格にも難があり友達も0である。
友達も配偶者も作らずきちんと納税し独りで死ぬ事が自分に出来る社会貢献だと信じていたけれど仕事も辞めて今死んだほうが良いのかもしれないと思っている。
でも死ぬのって怖い。死んだほうが良いのは分かってるしそれが人のためになるのも理解してるのに、エゴだなと感じる。自分本意、自己中心。
死ねなくてごめんなさいと心の中で懺悔してる。

35歳を迎える事が出来るのかな。

35歳の私は何をしていますか。